隣の星のあなたへ |
Written by 佐倉ユキ |
極論的に言ってしまえば、僕らは出会わない方がよかった。それは惑星と惑星が互いを傷つけんがために、決して触れ合わないのと同じことだ。ただ自分の進路だけを邁進し、何百年に一度、同じ電車の隣の席に座れればそれでよかったのだ。別にハンカチを落とす必要もないし、眠ったからって肩にもたれかかる必要もない。僕らはただ、同じ銀河の中に存在していればそれでよかったのだ。 そんなことを、僕は彼女の手紙を読み終えた後に感じた。そしてそれはおそらく正解なんだろうと思う。 彼女は手紙に、こう書いていた。 多分、私たちの心には何万光年もの距離があるはずです。いえ、もしかしたらもっと近いかもしれません。距離については、私が勝手に感じているだけです。だから、深く断言はしません。でもその距離は、極めて消極的目線より見積もっても、火星と土星ほどは離れているでしょう。とにかく、環境が違うのです。だから、決して私たちが分かり合うこともありません。 それはまさしく、僕がずっと開かずのドアの向こうに感じていた異物の正体だった。 僕と彼女は違う。 僕はそんな漠然とした答えにいつも不安を感じていたのだ。ちゃんとした、もしくはそれらしい回答の得られた時には、できるだけ素早くその回答と書き替えられるよう、いつでも消しゴムを右手に準備していたほどだ。だから彼女からそのドアの鍵を受け取った瞬間、ああそうか、と思うのと同時に、僕はひどい淋しさも覚えた。そこにあったのはまるで救いのない、でも絶対唯一の事実だったのだ。 言ってしまえば、僕らはこの三年間、いつも互いの宇宙船から相手のことを見つめていた。降り立った瞬間に、環境の違いに自分が傷ついてしまうから。だから僕らが相手について知り得たのは外面的な、つまり目に見えることだけだった。いつも僕らは九十九パーセントの断絶感に苛まれながら、残りの一パーセントで相手を感じていたのだ。 なにをしていたのだろうか、と思う。 彼女という惑星が壊れはじめたときも、僕は宇宙船の中にいた。なにをしてやるわけでもない。ただ彼女を見つめていた。彼女も僕を見つめていた。僕には、彼女の目の内がだんだん透き通っていってしまうのがわかったけれど、でも僕は宇宙船を下りなかった。なによりも自分が傷つくことが怖かったから。だから僕は、なにもしなかった。心から、彼女のことを愛しているにもかかわらずだ。 そう、僕らは愛し合っていた。それは事実だ。僕らは互いについて何一つ深く知り得なかったけれど、それでもなぜか、得体の知れない大きな力によって愛し合っていた。そして、それを互いに感じていた。だからこそ、出会わなければ、と僕は思う。僕らが出会わなければ、こんなことにはなり得なかっただろう。しかし、出会うことさえ決められていたとするならば、僕らはもうどうすることもできない。過去に戻ってまたこんなことを繰り返すのならば、漫画みたいに、僕は自ら宇宙船の自爆スイッチを押すつもりだ。でも、いつの間にかもうこんなところまで来てしまった。ワープができないことは既に証明済みだし、自爆スイッチなんて都合のいいものも見当たらない。 彼女には僕じゃない誰か、僕には彼女じゃない誰かが必要だったのだ。それは自分という惑星にとって太陽光の届かない影の部分みたいなもので、僕の考えていることを光より速く悟ってくれる。そういう人が、彼女にも僕にも必要だった。僕らは見つめ合うことだけしかできないけれど、近くにいたのがそういう人間だったならば、きっと支え合うことができたに違いない。僕は彼女の死を見るべきじゃないし、彼女も死の前に僕を見るべきじゃないのだ。一緒に大人になって、一緒に死ねる人間と出会うべきだったのだ。 あなたと出会えて、すごくよかったと思います。 それが彼女の手紙の中で、唯一僕に、そして彼女が自身に与えた救いだった。 嘘じゃありません。本当に、そう思います。確かにあなたは私を何度か傷つけたし、私もあなたを傷つけたけれど、それでもあなたのことを愛しているから。だから出会えたことには感謝しています。皆、なんの感情を持たずに死ぬよりは、誰かを愛しながら死にたいものですから。 ……私の言いたいこと、伝わりますか? なんだか恥ずかしいけど、私が言いたいことは、できることならあなたも私を愛していて欲しいな、ということです。もちろん私が死ぬまでで構いません。でももしよかったら、死んでから一週間は私のことを愛していてください。わがままでごめんなさい。 手紙は一度そこでぶつりと途切れていた。下に十数行も残して、紙が変わる。もう何度目だろうか。僕はその最後の一枚を、一番上にして読んだ。 あともう一つ、これだけは絶対に護ってください。 お願いですから、幸せになってください。私があなたから幸せを奪った分、あなたにはこれから幸せになる権利があります。あなたは絶対幸せにならなくちゃいけません。私のことは、いつか必ず忘れてください。そして、同じ星座を一緒につくり上げられるような人を捜してください。触れ合うだけで心が通じ合うような、そういう人があなたには必要です。その人と、幸せになってください。私はそれを、心から願っています。 それではさようなら。もう二度と、私たちが出会うことのありませんように。 |
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