storyteller

　スターゲイザー　REVERSE-SIDE　

　第5話　宴の支度　

　それは本当に豪華な部屋だった。
　正直、今まで生きてきた中でこのような部屋に泊まったことなど一度もない。仕事が仕事なので金はあるのだが、ここまで豪華な部屋に泊まる意味が僕には理解できないのだ。煌びやかさがむず痒さを生んでたまらないし、なんとなく疲れてしまう。僕は柔らかすぎて寝心地の悪いベッドに横になって、僕の分の見取り図を眺めながら、シェラにもこんなホテルがあって、俺たちの他にもこんなホテルに泊まるような馬鹿がいるんだな、と思った。
　すると不意にとんとん、とドアがノックされた。ユーリだろうか。ちょっと俺は用があるから、と言って喫茶店で別れてから、まだ一時間足らずの三時四十分。もう用を終えたのだろうか？　そう思いながらも僕は銃を握りしめて、ドアの前にゆっくりと忍び寄る。仕事柄、ドア越しに撃ち抜かれる危険性を考えると、慎重にならざるをえない。
　そして僕は「誰だ？」とドア越しに声をかけてみた。しかし返事はない。耳をそばだてても、物音すら聞こえない。仕方がないので、僕はゆっくりとドアを開けた。
　瞬間。
「やっ！」
　その声と共に、ドアの隙間からにゅっとルナが顔を出した。僕は驚いて、思わず声を上げる。危うく撃ち殺してしまうところだったが、相手がルナであることを瞬時に察し、なんとか引き金は引かずにすんだ。銃を下げて、頭を抱える。
「あはははは、驚いた？」
「おまえ……」
　部屋に入ってきたルナを、僕は呆れながらも睨みつけた。今回は金のウィッグをつけ、服装は派手ながらも少し控えめなワンピースだ。強く頭を掻いて、尋ねる。
「なんの用だよ」
「ショッピング、しない？」
「へ？」
　僕は唖然として、口をぽかんと開けたまま固まった。大事な仕事を明日に控えているというのに、こいつはなにを言っているのだろうか。
「ショッピングよショッピング。いいじゃない。ほら、私たち初対面なわけだし、仲良くなるためにもさ。宴の支度としゃれこみましょうよ」
「宴って、おまえさあ……」
「なに？　嫌？」
　僕は俯いて、ため息をついた。意を決し、顔を上げる。
「今の内に言っておくけど、どうやら俺はおまえが嫌いらしい。そんな俺と、おまえは買い物するのか？」
「ええ、構わないわよ、別に」
　もう、呆れるしかなかった。仕方がないので、自分で自分の頭を三回ほど叩いて気合いを入れる。
「わかったよ。支度するから、廊下でちょっと待っててくれ」
「ん、わかった。じゃあ早くしてよね」
　ひらりとウェーブのかかった髪を翻して廊下に出ていったルナを、僕はどうしようもないな、という目で見送った。

　そしてその十数分後、僕は文字通り振りまわされることとなった。
　訪ねた店について、正直なところ僕は全くと言っていいほど記憶していない。ただ腕を掴まれ右に左にと過ぎゆく視界の中で、似たような洋服やバッグがちらちらと目に映っただけだ。それほどまでにルナのショッピングは駆け足で、さらにいつの間にか僕の両手には多量の紙袋がかけられていた。一つの店に立ち止まることによる小休止は何度かあったものの、決まってそういうときは紙袋の量が大きく増えた。それこそ僕はまるで、子供に振りまわされるガラスビンの中のカエルみたいなものだった。
「んー、あとは特に買いたいものないかなあ」
　持ちきれないほどに紙袋の数が増えた頃に、ルナが言った。僕が安堵の表情を浮かべると、さらに言う。明るい声で、さながら遊園地で次に乗りたいアトラクションを告げる無邪気な子供のように。
「じゃあ次はゲームセンターに行きましょうよ」
　表層だけの無邪気さに、僕はそこで少しだけくじけそうになった。
　だが仕方がないので、僕はゲームセンターにまで付いていった。道中「本当にシェラの店は微妙よね」などといった愚痴に適当な相槌を打ちつつ、なんで軽い気持ちでショッピングなんて了承してしまったんだろう、と激しく後悔した。もしかしたらユーリはこのために逃げたのかもしれない。誘われる前に逃げることによって、相手を傷つけないというわけだ。ユーリなら、十分に考えられる。
　ゲームセンターに着くと、ルナは片っ端から機械に金を投入していった。中でもクレーンゲームには時間と金を惜しげもなく使った。そういうわけで、僕の荷物はさらに増えたことになる。もう持ちきれないので、腕と脇腹の間にクマのぬいぐるみを挟んだ。クマの顔が潰れて、僕の心も潰れそうになる。
　することもないので、僕はやはりルナを観察していた。そして思う。子供みたいだ、と。ショッピングの時からそうだったが、ゲームセンターではしゃぐルナはよりただの子供のようだった。どこか歪んだ部分は見て取れたものの、僕はまだルナから殺し屋という一面を見ることができずにいた。なにせ周囲に対する警戒心すら、ルナは一切発揮していなかったのだ。
　すると突然そこで、ゲームを吟味していたルナが僕の顔を見ずに言った。
「ねえ、あなたにとってサクラってどんな人？」
　僕は思わず目を見開いた。
「なぜサクラのことを？」
　だがすぐに電車の中でユーリとの会話を聞いていたのだと理解した。ルナが小さく笑って、さらに言う。
「恋人？」
　一瞬、僕は返答に迷った。少し時間をおいて、答える。
「……そんなんじゃないよ」
「じゃあ片思い？」
「だからそういうのじゃ」
「ならセフレ？」
　僕は眉根を寄せて、ため息をついた。ルナがそんな僕を見て、声を出して笑う。
「あはは、やっぱりセイはからかいやすいね。かわいい」
　僕は目をつむって、頭を掻こうとした。だが荷物が邪魔でどうすることもできず、仕方なくまたため息をつく。
「俺たちは、そういう関係じゃないんだよ」
　するとどうでもいいと言うように、ルナは「ふーん」と相槌した。見ればおもちゃの銃を用いたシューティングゲームに近づいて、やるかやるまいか決めかねている。投げっぱなしかよ、と僕は心の中で、しかも弱々しく毒づいた。
　表情を整えて、尋ねる。
「明日仕事なのに、いいのか？」
　ゆっくりと、ルナが僕に顔を向けた。
「あら、心配してくれてありがと。でもそれは私の腕に対する心配じゃないの？」
　別に図星というわけではなかったが、僕は黙った。にこりとルナが笑う。
「大丈夫よ。なんなら証拠見せようか？」
「証拠？」
　ルナがゲームの画面に向かって銃を構え、不敵に微笑んだ。それを見て意味を察した僕は、首を振る。ゲームで腕前を見せるなど、あまりにも馬鹿馬鹿しかった。頭が痛くなる。
「別にいいよ。なんとなくわかるから」
「わかるって、なにが？」
「力量というか、そんな感じ」
　ルナが銃をゲーム機の元の位置に戻した。
「ふーん。見る目ある的な？」
「知らないよ。でも、君は愚図じゃない」
「へえ、わかるんだ」
「まあ、ね」
「ふーん……」
　するとそこで不意に、沈黙がさっと降りてきた。ルナの言葉の余韻が静寂を携えていて、それが僕らの周りをぐるりと囲むように隊列を組んだようだった。とにかくそれはとても深い沈黙で、突然訪れたその静けさに、僕は少し面食らった。だがすぐに、その静けさの訳を知る。
　ルナの表情が変わっていた。え、と僕は呟く。それこそ本当に面食らってしまったのだ。
　ルナは明らかに不機嫌な表情をして、どこでもないどこかをじっと睨みつけていた。今までほとんど笑みを崩すことのなかった分、それは大きな変化として僕には感じられた。そしてまたそのテンションの落差こそが、僕に突如の静寂を感じさせたのだ。
　ルナの目が僕に向けられて、視線が合致する。その目を見て、僕は初めて、ああこの女も人殺しなんだな、と思った。
　ルナが僕に詰め寄って、言う。
「思ったんだけどさあ、セイって人のこと君って言ったりおまえって言ったり、なに？　なんなの、それ？」
　身長的にルナは僕を見上げ、僕はルナを見下していたが、それでもルナの威圧感に僕は少々たじろいだ。つい先程までのルナと今のルナは、明らかに性格が異なっていた。まるで外見だけはそのままで、人格を他の誰かと交換してしまったかのようだった。外に表れたルナは、ルナの一部と言うよりは、ルナでない誰か、と言った方がしっくりきた。
「……なんで、この仕事を？」
　話を変えつつ、気になったことを僕は尋ねた。あくまで冷静を装って。他人に自分が動揺しているところなど、あまり見せたくなかった。特に仕事の関係では。だが全てを見透かしたようにルナはいやらしく笑って、首を傾げる。
「そういうの、愚問って言うんじゃないの？」
　確かにそれは疑問の形で僕に向けられたが、あえて僕はなにも言わなかった。ルナが声を出して笑う。ふふふと、老齢な詐欺師みたいな声だ。先程までとは笑い方さえ違っていた。
「今さらなに言ってるの、セイ。楽しいからに決まってるじゃない。人生にはこういうスリルが必要なのよ。収入もいいしね」
　するとそこで再びルナがゲーム機の銃を取り、僕の眉間に突き付けた。おもちゃとは言え他人に銃を向けられることはひどく僕を不快な気分にさせたが、抵抗は逆に惨めだったので、僕は無表情のまま耐えた。
　ルナが、銃口の先で僕の眉間を軽くつつく。一回、二回、三回と。
「ねえ、セイ」
　ルナが僕に問いかけた。
「あなた、私のこと狂ってると思う？」
　僕はどう答えていいかわからなかった。だが言われてみれば確かに僕はこの目の前の女が狂っていると思っており、そう答えればよかったのかもしれないが、でも答えることはできなかった。
　ルナがまた笑う。おまえの考えていることなど全てお見通しだ、とでも言うように。
「間違ってるよ、セイ」
　僕の眉間から銃口が外されて、その銃口が天井に向けられる。僕はその銃口の軌跡を目で追っていたつもりだったけれど、僕の瞳が捉えていたのはルナの唇だった。サクラの唇とは違う、口紅で紅く染められた唇。それが、流れるように動いて言葉を紡ぐ。
「狂ってるのは、あなたよ」
　そう、ルナは言った。
　そしてその言葉きり会話もせず、僕たちは帰途についた。

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