スターゲイザー REVERSE-SIDE |
第4話 わがまま娘と昼下がり |
シェラに着き、電車から降りると、僕らは既にユーリが予約していたホテルに移動した。駅から徒歩五分足らずで着く、交通の便のよいビジネスホテルだ。近くには市場やレストランも揃っている。この条件でこの値段なら、なかなかによいホテルだった。 だがそのホテルに入ろうとする僕らの後ろでルナは立ち止まり、ホテルを見上げ、言った。 「ここは嫌」 僕は思わず固まった。 確かにこのホテルは見た限りでは決して豪奢と言えるような造りではなかったし、それどころか言ってしまえば少しうらぶれていた。灰色の壁は触れば指が黒くなることは間違いなく、さらに入り口のガラス戸の内片方は、滅亡に向かい下降していく人口を折れ線グラフで表したような、そんな形でガムテープが貼られている。おそらくひびでも入っているのだろう。 だが、そもそもシェラ――と言うよりもヴァレース国の建造物に見栄えを求めること自体、決定的に間違えていた。際限のない内乱や弾圧に対する抵抗。そんなことを各地で繰り返すヴァレースに、景観にまで十分な手を回す余裕などあるわけがないのだ。オルラーグの傀儡国家となってからは確かに軍備や町の再編にも力を入れ始めたが、元々が農業中心国家ということもあり、同じような傀儡国家ながら工業中心のマクガルタから見ても、かなり見劣りする。 そんな国にいて、おそらく情勢も理解しているはずなのに、こいつはなにを考えているんだろう。僕はそう思った。印象は悪くなるばかりだ。 ユーリが言う。 「なあ、ルナ。見た目はこんなだが、別にこのホテルは悪いホテルじゃない。それにもう、予約してしまっているんだよ。つまり、ホテルを変えるならキャンセル料が発生するんだ。それでも他のホテルがいいのかい?」 「ええ、もちろん」 ルナははっきりとした口調で言いきった。僕は思わず片手で頭を抱える。「しょうがないな」とユーリが呟いた。 そして僕らはホテルを変えることになった。皮肉的に言えば、性格の悪い女が金持ちの男をたらし込み、そのもらった金で泊まるような、そんな豪奢なホテルだった。しかしスイートルームは残念ながら――もちろんルナにとっての残念ながらではあるが――空いておらず、しかもルナはこのホテル自体がやはりあまり気に入っていない様子だった。 「まあ、このホテルがシェラで一番なんじゃ、しょうがないかな」 この言葉を聞いたときには、さすがのユーリも苦笑していた。 十三時に喫茶店ルージュで会うことを約束し、ルナが自分の部屋に入ったところで、僕は尋ねた。 「なあユーリ。あの女にも優しくする意味はあるのか?」 ユーリは深く息を吐き出して、言った。 「女は女だよ」 フェミニストの鏡だな、と僕は思った。 「おまたせ」 一時間遅れで約束の喫茶店まで来たルナは、あの濃い化粧を落とし、髪も前情報通りの黒のロングをポニーテールにし、思わず僕はそれがすぐにルナだとわからなかった。服装もシックでおとなしく、僕は正直唖然としてしまった。そして尋ねる。 「髪型、変えたんじゃなかったのか?」 ルナはくすりと笑った。 「この髪気に入ってるのに、切るわけないじゃない」 「でもさっきまでは」 「君とは初対面だったし、ちょっと驚かせようと思って。かつらよ、かつら。ほら、ファーストインプレッションって大事でしょ?」 僕は色々とつっこみたい気持ちを抑えて、眉間を摘んでやり過ごした。頭が痛くなる。 「さて」 文庫本を置いて、そうユーリが切り出した。もちろん遅刻に対する罰はない。おそらく元々予想していたのだろう。ホテルを出るときに言っていた、本でも持っていったほうがいいぞ、という言葉が思い返される。残念ながら僕は本を持っていかなかったのだ。 「こん――」 「あ、あたしもコーヒー」 ユーリの言葉をそれはそれは上手に遮って、ルナが言った。仕方がないので、手を挙げて、僕が店員を呼ぶ。ルナがアイスココアとイチゴパフェを頼み、僕らもコーヒーをおかわりした。アイスココアとイチゴパフェが合うのか、僕にはよくわからなかったが、ルナはどちらもおいしそうに食していたので、なにも言わなかった。 「さて」 しばらくして、再びユーリが言った。 「話を始めてもいいかな?」 イチゴパフェを食べていたルナは、ユーリを見ずに、適当にこくりと肯いた。やっと話が始まる。 真剣な表情で、ユーリは語り出した。 「今回は前に伝えていたとおり、少しばかり大きな仕事だ。要人の殺しとか、そんなちまちましたものじゃない。殲滅だ」 ルナがヒューと口笛を吹いた。 「いい響きね」 ユーリは小さく肯いて、話を続ける。 「オルラーグのテロ組織がシェラに潜伏している。今回はそれを叩く。一人残らず、全員だ。規模は二、三十人ってところだろう。テロ組織ということもあって、もちろん相手は銃器を装備している。だが、とにかく、殺せ。バズーカ砲を打ってこようが爆弾のスイッチを握られようが相方が死のうが、気にするな。とにかく全員殺せ。それが今回の仕事だ」 「組織の潜伏先は?」 僕がそう尋ねると、ユーリはポケットから綺麗に折り畳んだ二枚の紙を取り出した。一枚をテーブルに広げる。それはシェラの白地図だった。ユーリが喫茶店備え付けのボールペンで、印を付ける。 「ここだ」 そこは町の外れ、シェラの工業化に伴い放棄された果実工場の一つだった。初めにユーリが予約していたホテルの方が、位置的には明らかに近い。 「ここの地下が、アジトだ」 「地下?」 僕は思わず聞き返した。ユーリは肯く。 「ああ、地下だ。もともとこの工場はオルラーグが自国のスパイを囲うために造ったもので、廃棄された今となっても時折こうして使われるんだよ。ちなみに地下三階建てで、下水道とも繋がっている。汚らわしい鼠の巣窟だよ」 ユーリがもう一枚の紙を、地図の上に広げた。 「そしてこれが見取り図だ」 地図より少しばかり小さなその紙には、雑居ビルの地下の間取りが、一階ごとに極めて正確に記されていた。思った以上に地下は広く、通路が多い。まさに編み目のように通路が到るところで交わっていた。迷子になりそうな造りだ。部屋と呼べるような部屋も少なく、地下三階にだけとても大きな部屋が一つある。下水道には地下三階で繋がっていた。 「造りはもちろん暗記しろ。どの通路を右に曲がればどこに出るか、瞬時に答えられるまで頭に詰め込め。任務は殲滅なんだ。迷っている時間があるなら、一人でも多く殺せ。いいな?」 強い意志のこもったユーリの瞳に、僕は促されるようにして肯く。 だがそこでふと小さな疑念が僕の頭を蹴り上げた。痛みが広がるように、じわじわとその疑念が頭の中を支配していく。 そうだ。よくよく考えてみれば、なぜユーリはこの見取り図を持っているのだろうか。テロ組織のアジトの見取り図など、そう簡単に手に入るわけがない。なのに、ユーリはどうやってこんなものを手に入れたのだろう。 するとユーリがそんな僕の額を突然はたいた。僕は驚いて顔を上げる。 「な、なにを」 「不満げな顔だな。なにか意見でもあるのか?」 「別にそんなことは」 「どうして俺がこれを持っているのか、ってことか?」 図星を突かれ、僕は黙った。ユーリが笑う。 「守秘義務があるから言えないが、俺のネットワークを舐めてもらっちゃ困る、とだけ言っておこう」 あまり納得できなかったが、仕方がないので僕は「わかったよ」と言って俯いた。端から見ればふてくされたようで、実際ふてくされていた。ルナが声を押し殺して笑う。そして言う。 「まあ、いいけどさ。それよりも殲滅、って言ってもどうやって殺すの? 毒ガス? 爆弾? それともやっぱり鉄アレイ?」 ユーリは笑って、首を振った。 「スマートじゃないが、今回は銃で撃ち殺しといこう。ルナはマシンガン扱うの、好きだろ?」 「気持ち良いからね、あれ」 「じゃあ決まりだ。派手にやるもよし。美しくやるもよし。とにかく殺せ。決行は明日の二十六時。わかったか?」 ルナはパフェを食べながら、僕はユーリの目を見つめて、肯いた。背筋がぞくぞくと、疼いた。 |
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