スターゲイザー REVERSE-SIDE 
 第1話 サクラ 
「ハッピーバースデー」
 リビングのドアを開けた瞬間、パン、という破裂音と共に、色とりどりの紙吹雪が僕の体に絡みついた。視界が半分ほど遮られる。だが僕はそれを取ろうとせず、ただじっと、クラッカーを握りながら目の前で満面の笑みを浮かべるソラを見つめた。空気が止まって、残響していた音が消えて、沈黙が流れる。するとその沈黙の深さに比例して、ソラの笑顔が見る見るうちに強ばっていった。僕は、思わず握ってしまった腰の銃から手を離した。
「えっと、あの」
 恐る恐るといった様子で、ソラが口を開いた。
「驚いた?」
 僕はそれには答えずに、僕の頭にまとわりついたひも状の紙を取って、それをソラの頭にぐしゃぐしゃと混ぜ込んでやった。ソラが驚愕の悲鳴を上げて、それを取ろうともがく。僕はその必死な姿を横目に見ながら、黒のロングコートを脱ぎ、椅子の背にかけた。そしてその椅子に座り込み、改めてソラを見る。ソラはやっと紙を取り除いたところだった。
「もう、セイの意地悪!」
「そんなことを言われる筋合いはないな」
 僕は笑みを噛み殺して、できるだけ真面目な口調で言った。
「さあ、説明しろよ。この不条理なドッキリの意図を」
「だって、誕生日だもん」
 頬を膨らませながら、ソラが言った。
 僕は肯いた。
 確かに今日は誕生日だ。このリビングを見れば、誰であれ誕生パーティ、もしくはなんらかのパーティがあるのだろうと思うはずだ。先程の紙吹雪以上に色とりどりの色紙が、輪っかとなったり星となったりハートとなったりして、シンプルな家具や白い壁に彩りを与えている。さらに見慣れない純白のテーブルクロス、趣味のいい花瓶に生けられた暖色の花。ここが自分の家かと思うほどに、そこは華やかな世界だった。これを準備したソラには、確かに感謝せねばならない。
「だけど、今日誕生日なのは俺じゃないだろ?」
 ソラはフローリングの床に落ちた紙吹雪を片づけながら、肯いた。
「家にはどうやって入ったんだ?」
「サクラから合い鍵もらったの」
 ポケットから取り出した鍵を、ソラはちゃりちゃりと鳴らして見せた。
「で、そのサクラは?」
「ユーリさんとデートだよ」
 僕は思わず眉根を寄せた。
「デート?」
 するとソラが声を上げて笑い出した。明るく、きらきら輝く笑い声だった。だがそれはその笑いでもって明らかに僕のことをからかっていた。僕はむすっとすると同時に、恥ずかしくなった。
「嘘だよ、嘘」
 ソラがまだ笑いを含みながら、言った。
「準備しなくちゃいけないから、ユーリさんに連れ出してもらっただけだよ。サクラはセイ一筋だから、安心して」
「ソラ!」
 僕が思わず声を荒げると、それでもソラは笑顔で笑っていた。本当に素敵な笑顔だった。まるで世界中のきらきらとしたもの全てをその笑顔にまとめてしまったような、そんな笑顔だった。彼女の笑顔を見ていると、どんなに醜い世界でも、とても美しいもののような気がしてくる。それが幻想であることは分かっていたけれど、それはまだどこか張りつめていた僕の心を落ち着かせた。終いには、僕もつられて軽く笑ってしまった。
「何時頃帰ってくるんだ?」
 僕は尋ねた。
「五時半には帰るって」
 僕は時計を見た。時計の針は五時十五分を指していた。
「なんだ、もうすぐじゃないか」
「うん。だからそろそろ料理をテーブルに並べようかな、って思ってたところにセイが帰ってきたんだよ」
「そっか。じゃあ手伝うよ」
 するとソラが、今度は優しく、そして小さく、椅子から立ち上がった僕に向けて笑みを見せた。雀の鳴き声みたいな微笑みだった。
「ありがとう。でも大丈夫だから、着替えてきていいよ。そんながっちがちな格好で誕生パーティするわけにいかないでしょう?」
 僕は視線を下げて、自分の格好を見た。ネクタイはしていないが、僕は仕事用の黒のスーツを着ていた。そしてそれは明らかに楽しいパーティに適した服装とは言えなかった。僕は服装に関するプロセスを一つ前へと逆行し、正確な答えを導き出さねばならない立場にいたのだ。僕はそれを思いだし、肯いた。
「ああ、そうだな。じゃあ着替えてくるよ」
 だが僕がロングコートを持ってリビングを出ていこうとすると、思い出したようにソラが声を上げた。
「あ、ちょっと待って、セイ」
 僕は振り返った。
「なに?」
 ソラはぱたぱたと台所に下がり、一枚の紙を持って戻ってきた。大きくはないが、小さくもない画用紙だった。見る限り白紙だが、ソラは僕に見えない方の面を見て微笑んでいた。先程のどの笑みよりも優しい微笑みだった。どうやらなにかが描かれているらしい。なんだろうか、と僕は思った。
「これ見て」
 ソラが僕の横に来て、言った。
「サクラが描いたんだよ」
 僕は思わず目を見張った。目の前に広げられた画用紙に描かれていたのは、桜の鉛筆画だった。桜の木が、画用紙の中心に大きく大きく描かれていた。背景にはなにもない。だが圧倒的なまでに突き詰められた光と影のコントラストと、桜の花びらが極めて幻想的に散る様が、絵の絶対的な世界観を創り上げていた。ふと気付けば、いつの間にか僕の心までもがその世界の中に没入しているほどだった。
 正直、僕はその絵に対してどのような感想を述べればよいのか、まるで思いつかなかった。ソラは僕の言葉を待っているようだったが、その絵から僕が感じたのは、言葉にし難いなにかだった。それは初めてサクラを見つけたとき感じたなにかに少し似ていた。やはり飾り立てて言ってしまうことはできたが、実際のところそれは相応しくないのだ。この世の中には言葉にできないものがたくさんあって、それらは言葉にすると壊れてしまう。この絵はその一つだった。僕は口をつぐんで、しばらくその絵を見つめていた。
「なんだか、思い出しちゃうね」
 ソラが言った。
 ああ、そうだね、と僕は心の中で呟いた。そしてゆっくりと肯いた。

*

 ちょうど今日から一年前、廃虚から連れ帰ったサクラは、記憶喪失だった。都合よく自分の名前と生年月日の記されたネームプレートを持っており、日常生活において大切な事象も記憶していたが、その他の人間関係などといった記憶が致命的なまでに抜け落ちていた。僕はそこからなんらかの人為的な痕跡を感じずにはいられなかったが、確証に到るようなものは彼女から見て取れなかったし、なにより彼女は感情までだいぶ欠落していた。彼女はひたすらに無表情で、透明で、瞳はやはり不気味なくらい黒く澄んでいた。僕はその夜の泉みたいな瞳にじっと見つめられるたびに、少なからず恐怖を覚えた。
 だが僕やユーリ、ソラとの触れ合いは、確実にサクラの心をほぐしていった。僕は愛と呼んでもいいほどの優しさをサクラに注いだし、ユーリは丁寧に、そして穏やかに彼女と接したし、ソラは太陽のようなその明るさでもってサクラを照らし続けた。それは平均水準を遙かに超えた心地よさをサクラに与えたと思う。その証拠に、時間が経つに連れサクラの瞳には命の色が染まりはじめたし、そこにいるのになぜか見失ってしまうような、激しい存在感の消失もなくなった。彼女はゆっくりとだが確実に世界と馴染みはじめていた。彼女が僕に近づいているというのは、僕にとって本当に嬉しいものだった。
 そうしてサクラが初めて笑ったのは、サクラと出会ってから十と七つの夜を越した朝だった。とても気持ちよく晴れた日曜の朝だったことを僕は記憶している。僕が朝ご飯の支度ができたことを伝えに彼女の部屋を訪れると、彼女はもう起きていて、ベッドから上半身だけを起こして、まだ少し寝ぼけた様子ながら外を見ていた。空か雲か、もしかしたら雀を見ていたのかも知れない。窓の向こうからは雀の鳴き声が聞こえていたから、その可能性だって十分にあり得る。だがその答えが出る前に、彼女は僕に気が付いて、僕の方へ視線を向けた。その頃はもう瞳もだいぶ輝きに満ちていたから、僕は恐怖を感じなくなっていた。そして僕は小さく微笑んで、「おはよう」と言った。するとサクラは微笑みを返してくれた。それは一瞬のことだった。
 僕は全ての血液が心臓にぎゅっと凝縮されるのを感じた。体が指先まで全てかちんこちんに固まり、だが心臓だけが次の脈動のためにぐぐぐと力を溜めていた。そしてそれは一気に放出された。すぅっと体から力が抜け、僕はゆっくりと大きく息を吸い、そしてそっと吐き出した。その頃にはもう彼女の微笑みは消えていて、無表情ながら少し不思議そうな目の色をしていた。僕はそんなサクラに向けて、また微笑んだ。「朝ご飯、できたよ」。すると彼女も再び微笑んだ。それは先程よりも長い時間そのまま僕へ向けられ、その表情でもって、「わかったよ。ありがとう」と言っていた。僕にはそれを感じることができたし、多分僕の喜びも彼女に伝わっていたと思う。サクラが僕に心を開いてくれた。僕にはそれが嬉しくて嬉しくてたまらなかった。
 それからサクラは飛躍的に色々なことを吸収していった。よく笑い、少しだが話すようにもなった。根っこの方にはどうしても殻のようなものが見られたが、それが気にならないほどにサクラは本当に人間らしくなってきた。僕も嬉しかったし、もちろんユーリやソラも喜んだ。サクラはソラと同じ学校に通うことになり、その穏やかで温かい性格でもって、皆を癒した。サクラはいつの間にか僕らの世界のちゃんとした住人となっていた。僕らの手はぎゅっと固く結ばれ、あの晴れた日曜の朝の微笑みが、僕らの間にいつもちゃんとした形で存在していた。

*

 そんな風にして、一年はあっという間に過ぎてしまった。四月の四日。一年前と同じように、空を流れる雲は早い。だが僕は銃を握ってもいないし、狂ってしまうほどの緊張感に息を荒げ、眉根を寄せてもいない。僕は今日晴れて十六歳を迎えるサクラが描いた絵を、じっと見つめていた。そして、不意にため息が零れた。それは意図せず漏れたため息だった。僕はただ一言、「素敵だ」と言った。そうしてソラに目線を映すと、ソラは微笑んで、肯いた。
「そう言えば玄関にケーキ置きっぱなしだったな。取ってくるよ」
 僕は言った。そうでもしないと、ずっと絵を見続けてしまいそうだったからだ。
 そして僕がリビングのドアを開けるのと、玄関の扉が開くのは、同時だった。リビングと玄関は廊下を挟んで正面に位置し、リビングのドアを開ければ必然的に玄関が目に入るようになっている。僕は瞬間的にしまったと思った。鍵を閉めておけばよかったのかも知れない。そうすれば対処する時間は十分にあっただろう。だがもう遅かった。玄関へ足を踏み入れたユーリの足が、僕と目があった瞬間、止まった。おそらくユーリもしまったと思ったに違いない。僕はユーリの後ろからそっと入ってきたサクラを見た。サクラも僕を見た。そして二人同時に、二人の間に置かれたケーキの箱を見た。さらにサクラは僕の後ろも見た。色鮮やかに飾られたリビングの情景が、桜の目の内に映った。
「あちゃー」
 ソラが小さく呟いた。
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