スターゲイザー REVERSE-SIDE 
 第2話 4月4日のキスと影 
 結果的に、誕生パーティは成功した。予定であったドッキリパーティとはいかなかったものの、サクラは初めての誕生パーティを心から楽しんでくれた。ケーキの蝋燭消しに苦戦し、皆からのプレゼントには最高の笑みを返してくれた。それはすごく素敵で幸せな時間だった。平和、という言葉がこんなにも似合う時間を過ごしたのは、本当に久しぶりだった。終始皆の顔には笑みが浮かんでいた。こんな時間がいつまでも続けばいいのに、と誰もが思っているようだった。少なくとも、僕にはそう思えた。
 時刻も十一時をまわった頃になって、ようやく高まっていた皆の気持ちも一段落してきた。僕も、サクラもユーリもソラも、祭りの後の優しい余韻に浸り、申し合わせたように穏やかな静寂が流れた。テーブルの上の豪華な料理もほとんどが消え、ただ片づけられるのを待つだけの存在となっていた。僕はグラスの底に三センチばかり残ったシャンパンを、きゅっと飲み干した。
 そこで不意にユーリが、「少しテレビでも見ようか」と言った。誰もなにも言わなかったが、ユーリはリモコンでテレビをつけた。黒かった画面に光が灯り、液晶画面の中で象が結ばれる。僕を含めた皆が、なにげなくテレビに目をやる。
 画面の向こうでは、女性アナウンサーが、神妙な面持ちでこちらを見ていた。見るからに顔は硬く強ばり、眉間にうっすらとしわができている。なんだろうか、と僕は思った。また下らない事件だろうか。
 アナウンサーが、口を開いた。
「行方不明となっていたアーサー牧師が、遺体となって発見されました」
 瞬間的に僕は、ああ、見つかったか、と思った。画面が夜の協会の映像へと切り換えられ、アナウンサーが詳細を説明する。
「五日メトで演説を予定していたオルラーグのアーサー牧師は、三日未明より行方不明となっておりましたが、先程、二十二時四十分に、協会脇倉庫の地下室より、捜査員によって、遺体で発見されました」
 すっと場の空気が変わるのが、僕にもわかった。概要をまとめてしまえば、アーサー牧師は頭部を拳銃で打ち抜かれていた。警察は他殺の線で捜査している。犯人に繋がる手がかりはまだ見つかっていない。地下室はとても見つけづらい構造となっていた。地下室からは大量のルークが発見された。アーサー牧師とルークの関係を今調査している。こんなところだ。
「ひどい」
 ソラが言った。僕にはそれがなにに対して向けられた言葉なのか、よくわからなかった。牧師が殺されたことに対してかもしれないし、ルークに対してかもしれない。
 そんなソラに、サクラがそっと尋ねる。
「ルークって、なに?」
「麻薬よ。絶対に服用しちゃいけない、悪魔の薬」
「なんで使っちゃいけないの?」
「狂ってしまうの。人も、その人の人生も」
 現場の記者に映像が切り替わったところで、ユーリがテレビを消した。
「悪かったな。雰囲気が台無しだ」
 そして僕にちらりと目をやる。一瞬だが、ユーリは確かに僕を睨みつけた。僕は慌てて、なんとも言えない複雑な表情を顔に浮かべてみせた。目をつむり、心の中でため息をつく。
 ソラが食器の片づけに立ち上がり、ユーリもそれに加わった。僕とサクラも手伝おうとしたのだが、二人に丁重にお断りされた。サクラの目が僕と合う。なんとなく二人の意図が理解できて、僕はやれやれと思った。サクラは一人、カーテンとガラス戸を開けて、バルコニーへと出た。
 僕はシャンパンのビンを持って、グラスに注ごうとしたが、そのビンは空だった。そろそろ潮時かもしれない。確かに僕は今日、飲み過ぎていた。少し体は気怠いし、瞼も重い。僕は白い天井をじっと睨みつけた。するとそんな僕の手から、ユーリがシャンパンのビンをひったくった。飲み過ぎだ。目がそう語っていた。でも、そんなことはわかっている。今さっきちょうど考えていたのだから。
 僕は立ち上がり、静かにそっとバルコニーに出た。窓を閉めると、手すりに寄りかかっていたサクラがそれに気付き、僕に視線を向けた。僕が笑うと、彼女も笑った。僕は彼女の傍に寄って、手すりに寄りかかった。
 サクラは空を見ていた。空には一面星が輝いていた。目が痛くなるほどに美しい星空だった。星たちは僕とサクラのように、それぞれに寄り添い合い、互いの光で互いを照らし合っていた。なんだか満月だけがひとりぼっちな気がしてならなかった。
「絵、見たよ」
 僕はそう切り出した。サクラが僕を見た。
「桜の絵。すごく、素敵だった。……正直うまく言葉にできないけど、でも、本当に素敵だった。どうしてあんな絵が描けるんだろう?」
「ありがとう。でも、セイにも描けるよ」
 僕は首を振った。
「いや、俺には無理だ。俺はあんな風に桜を見ることができない。あんな絵を描けるのは、サクラだけだよ」
 するとサクラは微笑んだ。この夜空の星々の光を全て吸い取ってしまったような、優しく温かい笑顔だった。サクラの笑顔は平和の象徴だった。サクラの笑顔が輝いている間は、どこもかしこもあくびが出るほど平和なのだという気がした。平和を害しているは僕だというのに、その間僕は完全な被害者になることができた。
 そこでふと突然、サクラが俯いて、ちょっと困ったなあ、といった表情を浮かべた。僕は「どうしたの?」と尋ねた。するとサクラは小さく唸ったのち、ワンピースのポケットから指輪ケースを取り出した。思わず僕は「え?」と小さく呟いた。月灯りを頼りによく見れば、サクラは耳まで真っ赤に染めていた。
「ユーリさんに聞いたら、これがいい、って」
 僕はよく話が呑み込めなかった。「どういうこと?」と尋ねる。
 サクラはたどたどしく、答えた。
「今日は確かに私の誕生日だけど、私とセイが出会った記念の日でもあるから、貯めていたお金でなにかプレゼント買おうと思って、それでユーリさんになに買えばいいかな、って聞いたら、これがいい、って言われたの」
 僕はどう応えればいいのか、よくわからなかった。ありがとう、と言いたかったけれど、言葉が喉の奥で詰まって、出てこなかった。そうこうする内にサクラがケースを開けて、中の二つの指輪を僕に見せた。シルバーの、シンプルなリングだった。小さな透明の宝石が、一つ埋め込まれているだけだった。
 サクラは指輪ケースを木の机の上に置くと、その一つを手に取り、僕の左手も取った。なされるがままに、僕の左手の薬指に、指輪がはめられる。なんだかすごくむず痒い気分だった。まさかサクラに指輪をはめられるなんて、予想できたはずもない。というか、なぜサクラは僕の指のサイズを知っていたのだろうか。まあ、ユーリだろうな、と僕は思った。おそらくこの段取りのほとんどがユーリによる入れ知恵だろう。
 自分が後から、というのが少し気になったが、僕もサクラに倣って、サクラの左手の薬指に、指輪をはめてやった。僕らの指輪は月明かりを反射してきらきらと輝いていた。なんの宝石かはわからないが、綺麗な宝石だった。この宝石の中に互いの想いが込められているような気がした。
「ありがとう」
 僕が言うと、サクラは首を振った。
「いいの。セイからもこんな素敵なもの、もらったから」
 サクラは首につけたシルバーネックレスにそっと触れながら、言った。喜んでもらえてとても嬉しい、と僕は笑顔で示した。それを理解した彼女も、笑顔を返してくれた。
 そうして、僕らはキスをした。結果だけ言ってしまえばそういうことになる。僕らは星空の下、月の光を浴びながら、優しくキスをした。どのくらいの間そうしていたのかは、よくわからない。そのキスの間、僕らの時間軸は歪み、空間がすっと凝縮したような気がした。でもおそらく二秒か三秒だろう。自分でもなんだかよくわからない内に事は済み、静寂と、不思議な感触だけが唇に残った。僕らは見つめ合って、微笑んだ。そしてすっと、サクラが先にリビングへと戻っていった。
 しばらくして、僕の横にユーリが姿を現した。音もなければ気配もなかった。いや、もしかしたらただ僕が呆けていただけかもしれない。ユーリは一度空を見上げると、深く息を吐き出した。
「相手は十六だぞ」
「……見てたのか」
 僕は自分の頬が赤く染まるのを感じながら、言った。ユーリは胸ポケットから煙草とライターを取り出し、とてもまずそうにそれを吸った。
「まあいいさ。人殺しが恋しちゃいけないなんて法律はないからな。好きなように誰とでも恋すればいい」
 非常に嫌味な言い方だった。僕は少し苛立ちを覚えたが、押し殺した。口答えできる立場に僕はいなかった。
「それにしても」
 ユーリは続ける。
「いくら自分が殺したとはいえ、演説に来ていただけの善良な牧師様が死体となって発見された、と聞いたら、少しは残念そうな顔を浮かべた方がいい」
「浮かべたさ」
「俺が合図してからだろ?」
 僕はため息をついた。気分が台無しだった。話を変える。
「サクラとソラは?」
「ソラは皿を洗ってる。サクラは風呂だろう。だから大丈夫。二人に聞かれることはない」
 ああ、そうか、と僕は思った。また仕事の話か。
「仕事の話をしよう」
 案の定、ユーリはそう切り出した。
「明日の早朝、電車でシェラへ向かう。今回は俺も一緒だ。詳しくはあっちに着いてから話すつもりでいるが、少しばかり大きな仕事だ、とだけ言っておく」
「大きな仕事、ね」
 ユーリは肯いた。
「ああ、期待してもらっても構わない。あと今回はもう一人、おまえにパートナーをつけるつもりでいる」
「パートナー?」
 思わず僕は眉根を寄せた。パートナー。ユーリと手を組んで、初めて聞く言葉だった。今までパートナーなんていた試しがない。強いて言うなら、今まではユーリがパートナーだった。
「流しの殺し屋だよ」
 少し自嘲気味に、ユーリは答えた。
「女だが、それなりに腕は立つ。もちろんおまえほどとはいかない。だが、大量の雑魚相手におまえの手を煩わせるわけにもいかない。言ってしまえば、捨て駒だ。死んでくれても問題はない」
「じゃあそいつも殺すのか?」
 ユーリが小さく笑った。十秒程度、沈黙が流れた。
「いや、冗談だよ。面倒なことになると困るのは俺たちだ。殺す必要はない。金をわけたらおさらばだ。俺たちは、殺すべき相手だけ殺してればそれでいい」
 僕はそれを聞いて、疑問を覚えた。殺すべき相手。なあ、ユーリ。俺が殺すべき相手は、俺じゃないのかな。俺は俺を、殺してやるべきじゃないのかな。だがそれは言葉にすることはできなかった。僕は今、自分に銃口を向けるだけの勇気を持ち得なかった。一年前はあんなに簡単にサクラへ銃を向けたのに。僕も、もう一人の僕も、僕へ銃を向けることはできなかった。
 なんて馬鹿馬鹿しい人間なんだろう、と思いながら、僕はうっすらと光る指輪を見つめた。自分の左手の薬指だけが、神聖な、なにか違う生き物のような気がした。
 唇に残った淡い感触が、少しだけ気持ち悪かった。
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